2020年、GT3レースフル参戦初年度にイタリアGTスプリント選手権のシリーズチャンピオンに輝いた根本悠生。2021年はアジアン・ル・マン・シリーズ、インターナショナルGTオープン、そしてインターコンチネンタルGTチャレンジ第1戦『スパ24時間レース』といった中東、ヨーロッパ各地で開催されるGTレースを戦った。初体験や学びの多かったGT3レース参戦2年目のシーズンを総括するべく、根本悠生のインタビューをお届けする。

Q:2021年シーズン全体を振り返っていかがでしたか?

 表彰台が5回と、コンスタントにパフォーマンスを発揮できたことは良かったと思います。一方で久々に1勝もできないシーズンになったので、そこはすごく悔しいです。ただ、アジアン・ル・マンやスパ24時間といったレースに挑戦できましたし、インターナショナルGTオープンのチームタイトル獲得にも貢献できました。GT3カーでこれまで以上にたくさんの走行距離を稼ぐこともできたので、刺激的かつさまざまな勉強ができた1年だったと思います。

Q:2021年シーズンはまず、2月に開催されたアジアン・ル・マンに参戦しましたが、ランボルギーニのチームではなく、アストンマーティン・バンテージ GT3を走らせるGarage59というチームから参戦されました。根本選手は『ランボルギーニ GT3 ジュニア・プログラム』のドライバーですので、意外に思われたファンも多かったかと思います。ぜひ、アストンマーティンから参戦するに至った経緯を教えてください。

 元々Garage59で走っていた知り合いのアストンマーティンの育成ドライバーがいました。彼がGarage59からアジアン・ル・マンに参戦することになり、チームメイトとして速いシルバーグレード(FIAドライバーカテゴライズのひとつ)のドライバーを探していて、僕に「出てみないか」という話をくれました。ランボルギーニにも相談し、了解を得られたので参戦が決まったという経緯ですね。

Q:レースレポートなどでも記載がありましたが、2021年のアジアン・ル・マンは参戦台数も増え、それまでのアジアン・ル・マンと比べるとかなりハイレベルなシーズンだったかと思います。実際に参戦してみて、いかがでしたか?

 アジアン・ル・マンは5〜6年前の自分からすれば憧れの世界でしたし、ル・マン24時間レースに通じるという魅力があるシリーズですので、その舞台に自分が立てたということが光栄でした。

 やはり、初めてのクルマ、初めてのサーキットでいきなりレースというのは滅多にないことですので、かなり集中力が必要でした。ミスをしないように、そしてチームに貢献するという点でも、かなりレベルの高いところを要求されていたと思います。全4戦を戦った結果、表彰台には上がれませんでしたが、僕自身はアストンマーティンのワークスドライバーたちと遜色ないペースで戦うことができたので、自信にも繋がりました。密度の高い、良い経験ができた2週間だったと思います。

Q:2021年の主戦場となったインターナショナルGTオープンでは、2020年にイタリアGTスプリント選手権でタイトルを獲得した際の体制からエンジニアやメカニック、チーム首脳陣に変化はあったのでしょうか。

 あまり変わりなく。2021年もチーム代表のジェシカ・グルームバーグとヴィンチェンツォ・ソスピリ監督がヴィンチェンツォ・ソスピリ・レーシング(VSR)を引っ張っていました。ドライバー体制も、新たにミケーレ・ベレッタとバプティスト・ムーランというドライバーを迎えたものの、フレデリック・シャンドルフが継続でした。強いて言えば、今まで以上に集中力を上げて、シーズン中もチームの総合力をどんどん高めていったという、レースへの取り組み方が2020年シーズンと大きく変わったところだと思います。

 あと、ランボルギーニとVSRはボローニャ大学でモータースポーツ・エンジニアリングを学ぶ学生のインターンを受け入れていたのですが、その学生も実力のある人でした。ドライバー陣だけではなく、そういうところもチームの実力の底上げに対し、すごく機能したと思います。

 だからこそ、インターナショナルGTオープンではチームタイトルを獲得、そして、チームメイトの63号車のふたりがドライバーズタイトルを獲得できました。チームから求められていることもレベルが高くなっていくなかで、ドライバーはしっかりと答えていかなきゃいけないので、お互いに切磋琢磨しながら、すごく良い戦いができた1年だったと思います。

Q:イタリアGTスプリント選手権と比べて、インターナショナルGTオープンとはどのようなカテゴリーでしたか?

 まず、イタリアGTスプリント選手権はイタリア国内でしかレースが行われません。そのため、ドライバーはイタリア人が多く、チームもイタリア国籍が多くなります。もちろん、イタリア国内のトップGTレースですので、ハイレベルな戦いが繰り広げられますし、決して簡単なレースカテゴリーというわけではありません。

 インターナショナルGTオープンは、GT3でプロクラス、プロアマクラス、アマクラスと3クラス開催し、毎戦60分/70分のスプリントレースというフォーマットを作り『Home of GT Racing』と呼ばれる歴史のあるチャンピオンシップです。タイヤもSRO主催のGTワールドチャレンジで使用されるピレリよりもハイグリップなミシュランですので、ラップタイムも速く、その分フィジカルにも負担が大きいですね。

 インターナショナルGTオープンに出場してくるチームは、その名の通りインターナショナルかつ、6カ国を転戦できる体力とスポンサーがいるチームが多いです。あと、ル・マン24時間レースのGTクラスがタイヤをミシュランのワンメイクにするというリリースが出された後、ル・マン24時間に向けたミシュランの理解を目的に参戦するチームもいたり。そういった事情もあり、イタリアGTスプリント選手権からインターナショナルGTオープンへのステップアップは、自分達の中ではかなり大きなステップだと感じていました。

Q:個別のレースの話になりますが、全7戦14レースの中でもオーストリアのレッドブル・リンクで開催された第5戦のレース1では、途中から大雨が降る中、19号車は素早くウエットタイヤに交換。他車が大きくペースダウンする中、ハイペースで周回を重ねました。終盤に赤旗が掲示されなかったら優勝という展開でしたが、結果は2位に終わりました。シーズン中、最も勝利に手が届きそうだったレースだと思いますが、振り返ってみていかがですか?

 あれは、あと1周あればトップに上がれていたので……悔しいレースではありましたね。ただ、久しぶりに表彰台に立てたので、「ようやく戻ってこれた」という思いもありました。(2ページ目に続く)

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